はじめまして。〜五月音楽伝〜

音楽をはじめてからちょうど10年。
まず最初にモーリスのイチキュッパのアコースティックギターを買って、
ベストフォーク300とかゆうスコアを買って、
3コード覚えて地元の高崎駅のロータリーで唄いました。
ブームの「気球に乗って」や聖子ちゃんの「赤いスイトピー」なんかを。
最初のステージにストリートを選んだのは、
私が唄いたいと思った初期衝動に
「何も遮るモノがないところで」というのがあったからです。
つまり、自室やカラオケボックスなどでは、ダメだったのです。
どこまで届くのか、どこまで唄えるのか、
その音楽人生の一番最初の段階で既に、
私の音楽そのものに対するテーマは決まっていたのかもしれません。

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そしてストリートの日々。
まず、大きな声で誰はばかる事なく唄える事が嬉しい、
レパートリーが増えて行く事が楽しい、
そして毎日たくさんの出会い。
同じく高崎駅を拠点としているスケーターやロカビリー、
尾崎やナガブチなんかを唄うストリートミュージシャン。
それから近くの予備校の学生なんかと仲良くなりました。
ここで知り合って、今でもその交流が続いてる人達もいます。
天気がいい休日などは本当に一日中でも唄っていました。
お祭りの日には見物客もハンパなく、
ギターケースに1万円札が投げ込まれるなんて事も。
文字通り、唄中毒の日々。
そしてこの時点で早くもプロになる、と思っていたのです。

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ストリートをはじめて1年以上経過した頃、
ライブハウスやバンドに興味を持ち出しました。
ストリートに慣れてしまったせいもあるかもしれませんが、
聴いている音楽の変化というのが一番の原因。
なにせ、ストリート時代といえば、
レパートリー用のベストフォーク300にのっている様な
いわゆるスタンダードジャパニーズフォーク&ポップ。THE歌謡曲です。
音楽人生黎明期を経て、自称中級者入口ともなれば、
アイデンティティを確立すべく、とりあえず手当り次第に貪るもの。
地方音楽事情にアリガチな、
楽器屋の生き字引的オヤジのうんちくを鵜呑みにして、
ビートルズとジャニスジョップリンをしこたま聴き、
ルーズソックスを履いた女子高生に体得できるワケがない
いなたいブルースとロックンロールをスキなフリをした時期もありました。
自分より5つ以上年上の人達にくっついていたせいか、
洋楽(しかもハードロックね)至上主義の
押し付けがましい洗礼を、ありがたや〜と頂戴した時期もありました。
ツタヤでモトリークルーや、ガンズ&ローゼスなんかを借りて
予習復習を試みたりもしましたが、イマイチ肌なじみが良くはない。
とはいえ、この頃カラダに叩き込んだ(こまれた)サウンドの持ついなたさは、
今日の自分の好みに反映されていると云えなくもない。

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そうしたいくつかの、他人からの受け売りによる音楽ではなく、
自発的に興味を持ち、聴きこんだのが、
当時流行の「渋谷系」と呼ばれた音楽でした。
特に大好きで良く聴いていたのが、ラブタンバリンズ。
ファンキーでソウルフルで、それでいてアコースティックの感触を持っていて。
今の私の好みのルーツかもしれません。
スキマ+ハネもの+アコースティックサウンド。

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それからやはり唄もの、スピッツやブームも大好きでした。
文学的な匂いのする、切なくて叙情的な歌詞と、
口ずさみたくなる様なグットメロディ。
こんな曲を作りたいと、初めて作曲なるものをしたのもこの頃です。
結果はと云えば…、
残念ながら自分の曲より、
人の作ったいい曲を唄いたい、という様なできばえでした。

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そして、受け売りではなく、
より自分の目と耳で知らなかった音楽の世界を知りたいと思い、
ライブハウスでアルバイトを始めました。
それからはもうバンド一色!
地元のコピーバンドには辟易しましたが、
週末ごとにくる、メジャーやインディーのツアーバンドには興奮しました。
これこそが求めていた知的好奇心を満たすもの、といった感じ。
ミッシェルガンエレファントやサウンドアパートメント、血が燃えました。

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とはいえ家に帰ればやはりアコースティックギターをつま弾く日々。
ライブの興奮、先頭を突っ走るエレキギター、バンドのグルーヴ、
そういったものに憧れながらも
はじまりが「ベストフォーク300」だったせいか、
簡単にバンドに移行できずに居た頃、
ひとつの出会いが訪れました。
「一緒に音楽を作ろう」という初めての共同作業。
そして上京、バンド結成。

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東京には私の知的好奇心を満たす全てのモノがありました。
地元では簡単に手に入らないサブカルチャーの本や漫画、レコードの類い。
小洒落たインポート古着や、ブランド服。
そしてこの頃出会い、ハマりこんで聴いたのがはっぴいえんどでした。
もとより超がつくほどの文学少女だったワタクシメ、
松本隆氏の描く、散文体の歌詞の新鮮さといったらありませんでした。
鈴木茂氏のいなたいギターも相当ツボでした。
細野氏のファットでグルーヴィな低音も心地よく、
「こんな曲がつくりたい」第2期の到来。
しかし結果は…そう甘くはないのです。
自分の作ったツマラナイ曲より、
バンドのメンバーの作ったいい曲を唄っている方が実際楽しい。
これは、仕合わせな出会いだなぁという気持ちの中にほんの少し、
自分の唄いたい唄を自分で作れないもどかしさもありました。

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そうこうしながらも、紆余曲折もありながらも、めでたくメジャーデビュー。
確定申告の職業欄に「音楽家」と書き、
当たり前ですが、アルバイトもせず(笑)
事務所から給料をもらい、印税をもらう、
まごうことなき正真正銘のミュージシャンになりました。
2年強のメジャー生活の間に得たものと云えば、
テレビやラジオのコメント録りで
1、2分はスラスラとよどみなくしゃべれる事と、
ライターの誘導尋問を、
分かりきった上で受け答えする小利口さくらいのもので、
実りある出会いなどほとんどと云っていいくらいなかった。
その場で会って、その場でおわり。
もちろんそれは、自分のせいである事も否めないのだが、
それにしてもうわべだけの関係が当たり前の業界。
日々の生活は、小さくて重大な摩擦の連続、当然心身は病んでいきました。
そのうち売れないCDをなんとか売るぞとばかりに
バンドメンバー全員で曲を書いてこいとお上の指令が下りました。
そして個々に作った曲を唄入れしている時、
曲の善し悪しや優劣には関係なく、
なぜか自分の作った曲の唄が唄っていて一番気持ちがいいと、知ったのです。
そしてそれ以降「自分の唄」を紡ぎ出しました。

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バンド解散後、すぐに自分の作った唄を唄うバンドを結成しました。
気の合う仲間と、毎晩呑んだくれる様なバンドです。
アルバイトを始め、下北沢を中心にインディーズバンドの輪を広げ、
友達も沢山増えました。
全て自分達で決め、自分達でカタチにしていく、というのは、
メジャーずれしていた私にはとても健全で気持ちがいいものでした。
もしかしたら今までの音楽人生で一番居心地のいい時代だったかもしれません。

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3ピースバンドのシンプルなロック的アプローチと
てらいのないダイレクトな言葉を紡いだ、試行錯誤と切磋琢磨の日々は、
文化祭準備の放課後の様に、前向きな高揚感に満ちていました。
そのうち、ギタリストの末席を汚すくらいの腕前になってくると、
アンプやコンパクトエフェクターなんかに凝り出し、
そうなってくると、ロック的アプローチはますます過激さを増しました。
ですが、もともとニルバーナもレディオヘッドもスマパンも
ソニックユースもウィーザーも通ってない上に、
興味すら持たなかった手前、壁にぶち当たるというより、
頭の中の疑問符にこじつけの解答すら得られない自分がいるのです。
もともと始まりが「ベストフォーク300」ですから、
ファズのゲインをぐいっと上げて、
エレキギターのピックアップをアンプにじりじりと近づけて
ヒステリックなフィードバックをおこしても、
どこかで「ロック的アプローチ」の型をなぞってる感を拭えないのです。
とはいえ自分の中にある衝動や焦燥を表現するのに、
ヒステリックでガツンとくるエレキギターがしっくりくる事も多々あったし、
何より仲間と一体になって奏でる爆音の気持ちよさは、
何にも変えがたいものになっていました。

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青春とパンクに共存されてたまるかと思っていたので、
青春パンクなるものが市民権を得だした時には脱力しましたが、
それでも逆毛を立てたり、鋲付きのリストバンドなんかの
パンキッシュファンションは大スキだったし、
フライングVを持つと戦闘モードに入れる様な気もしました。
バンドの速度は増し、音圧に負けない様にどんどんキーの高い曲を作り、
テンションを上げて衝動を加速させる音楽を沢山作りました。
たといグランジのバックボーンがなくとも。

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そして2年強。
今、人生初のソロ活動を始動させようとしています。
2つの大切なバンド活動の終わりは、
そのつど自分の核心を確信させるものでした。
唄を選んで、それから音楽そのものに興味を持って、
自分の唄を紡いで、表現方法を学んで、
そして辿り着いた音楽を、これから奏でていきたいと思います。
まず始めに、私が唄い始めたストリートに還って、
あまり声は大きくないのだけれど、
アコースティックギターを持って、独りで唄いたいと思ってます。
ジャックジョンソンやラブタンバリンズの様な、
夏の夕暮れ時の心地よいペーソスと、
フォークソングのいなたさを持って、
あなたの街にも唄いに行けます様に。

2005年4月某日
五月 拝